家族のじかん
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さあ、あたたかなニッポンにかえろう。 さあ、あたたかなニッポンにかえろう。

江戸時代は教えてくれる。資源が限られる今こそ、新しい智恵が生まれ、循環型社会が発展する時だということを。 江戸時代は教えてくれる。資源が限られる今こそ、新しい智恵が生まれ、循環型社会が発展する時だということを。

資源・エネルギー源

武田信玄との
にらみ合いをきっかけに築城。
家康が天下への野望と
ロマンを抱いた浜松城

資源・エネルギー源

武田信玄とのにらみ合いをきっかけに築城。
家康が天下への野望とロマンを抱いた浜松城

1570年に家康が武田信玄の侵攻に対抗するため、三方原台地の東南端に築城した浜松城。3年後の1573年、両者は三方ヶ原(現在の静岡県浜松市北区三方原町近辺)で相まみえます。武田軍2〜3万の兵力に対して徳川軍はわずか1万。圧倒的な兵力差を前に総崩れとなり徳川軍は敗走することに。この三方ヶ原の戦いが家康にとって人生最大の負け戦となります。家康は敗戦直後、戒めのために自画像を描かせ、この絵を生涯にわたって大切に持ち、敗北を反省したと伝えられています。家康はここから17年間、浜松城を拠点に天下を獲るため数々の戦に出陣することになります。姉川の戦いや長篠の戦い、小牧・長久手の戦いなど、歴史の教科書にも載るような大戦は浜松城から出陣して行きました。浜松城は家康の小大名から天下人へとつながる成長の地でもあり、天下を獲った後どのような日本を築くのか、未来に想いを馳せた地でもあります

資源・エネルギー源

歴代城主は江戸幕府の
要職を担う大名。
現代では、歴史から
知見を得る場所として
未来の糧
に。

家康は居城を浜松城から駿府城へと移します。家康が去った後、浜松城は徳川家と関係の深い譜代大名を城主に据え、260年続く江戸時代に25人の歴代城主が誕生します。その中の5人が、江戸幕府における実務の最高職である老中についたことから、浜松城は「出世城」と呼ばれるように。明治維新後は城郭が壊され荒廃しますが、1958年ほとんど加工されていない石を積み上げた野面積みの旧天守台の上に新天守閣が再建され、翌年には浜松市の史跡に指定されました。現代では築城450年を記念して、2021年に天守閣の室内展示がリニューアル。家康が居城していた17年間を中心に、現代に到る450年間の歴史を紹介しています。浜松城は今、私たちが未来を見据えるため、過去を学ぶ場として親しまれています

資源・エネルギー源

家康が大御所として
晩年を過ごした地。
征夷大将軍を辞してなお、
天下泰平のため
駿府城で奔走する

資源・エネルギー源

家康が大御所として晩年を過ごした地。
征夷大将軍を辞してなお、
天下泰平のため駿府城で奔走する

5カ国(三河・遠江・駿河・甲斐・信濃)の領主となっていた家康が、その支配の拠点として1586年に築城したのが駿府城です。1589年に天守や二の丸が完成するも、当時天下を治めていた豊臣秀吉から1590年に関東への国替えを命じられ、家康は駿府城を去ることに。1603年に征夷大将軍となった家康は2年後1605年に息子である徳川秀忠(とくがわひでただ)に職を譲ります。その翌年から、駿府城を「大御所政治」の拠点とするべく、三の丸などを築き、さらに駿府城下町の整備や、近くを流れる安倍川の水害対策などを行いました。
この事業によって、現在の静岡市の市街地の原型が造られたとされています。家康が駿府城に移ってから、駿府は江戸をしのぐほどの政治・経済・文化の中心的存在として栄えました。家康はこの地で、大名の規律を定めた「武家諸法度」、天皇や公家を統制するために定めた「禁中並公家諸法度」などを制定し、アジア諸国をはじめオランダ、スペイン、イギリスなどと交易を行い、外交を進めていきました。駿府城は家康が新しい時代の安寧を想い、知恵を巡らせた城なのです

資源・エネルギー源

数々の廃城の危機を乗り越え、
静岡市制100周年を機に
城を復元。
今では、静岡県の象徴として
日本を見守る

家康は駿府城を「大御所政治」の拠点にしようと再建していましたが、1607年に火事で焼失してしまいます。直ちに再建に取り掛かり翌年には本丸御殿が復元。1610年には、再び天守を完成させました。しかし家康の死後20年ほど経て、またしても城下からの出火により天守などを焼失しますが、御殿・櫓・城門などは再建されます。さらにその後2度の地震により、石垣や建物が倒壊するなど、駿府城は江戸時代に数々の廃城の危機に瀕しながらもその都度修復され、その姿を保ってきました。そして明治時代を迎え、戦後に駿府城は静岡市の所有となり、本丸や二の丸部分は駿府公園として整備されます。1989年に市制100周年記念事業として、巽櫓(たつみやぐら)が復元され、1996年に東御門が復元。近年では、2012年にその名称が駿府城公園に改められ、2014年には、坤櫓(ひつじさるやぐら)が復元されました。家康が未来の安寧に想いを馳せた駿府城は、現代まで何度も復元を重ね、今では静岡県のシンボルとして日本の未来を見守っています

江戸時代のこころは、今につながるエネルギー。 江戸時代のこころは、今につながるエネルギー。

■浜名湖パルパル

■浜名湖パルパル

住所:
静岡県浜松市西区舘山寺町1891

浜名湖畔にあるリゾート型遊園地。可愛らしい乗り物から絶叫系まで 約25種類 のアトラクションがあり、子供も大人も楽しめます。また園内に隣接して「かんざんじロープウェイ」乗り場があり、約 4 分間の空中散歩を楽しんだ先には、360度の浜名湖大パノラマが広がる大草山展望台や浜名湖オルゴールミュージアム があります。 ぜひ合わせてお楽しみください。

■浜名湖体験学習施設ウォット

■浜名湖体験学習施設ウォット

住所:
浜松市西区舞阪町弁天島5005-3

浜名湖や周辺の川などで暮らす生き物を展示し、触って学ぶこともできる体験学習施設。
館内はアクアゾーン、体験ゾーン、学習ゾーンに分かれており、ゲームやクイズ、シアター、写真パネル、数々の水槽などで詳しく展示・紹介されています。水槽の中にいるダイバーとの交流(※不定期開催)や、学習教室、ウナギがエサを食べる迫力ある様子を見学できるイベントなど、体験も充実しています。

■ちびまる子ちゃんランド

  • ©S.P/N.A

■ちびまる子ちゃんランド

住所:
静岡市清水区入船町13-15
エスパルスドリームプラザ 3階

「ちびまる子ちゃん」の原作者である、さくらももこさんの出身地・静岡市清水区にある、日本で唯一の「ちびまる子ちゃん」の常設ミュージアム。アニメちびまる子ちゃんのお話に登場するいろいろな場面を再現しており、さくら家の様子や、公園で遊ぶまるちゃんやたまちゃんに会うことができます。その他にも、アニメのオープニングの世界観が体験できるゾーンや「さくらももこ資料館」、「ちびまる子ちゃんシアタールーム」などがあり、大人も子どもも楽しめる人気のスポットです。

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