家族のじかん
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さあ、あたたかなニッポンにかえろう。 さあ、あたたかなニッポンにかえろう。

江戸時代は教えてくれる。資源が限られる今こそ、新しい智恵が生まれ、循環型社会が発展する時だということを。 江戸時代は教えてくれる。資源が限られる今こそ、新しい智恵が生まれ、循環型社会が発展する時だということを。

資源・エネルギー源

名古屋城は
何度も大改修
をしながら、
明治の幕開けまで守り続けた。

資源・エネルギー源

名古屋城は何度も大改修をしながら、
明治の幕開けまで守り続けた。

1612年に天守が完成した名古屋城の初代当主は17歳だった徳川家康の九男・徳川義直です。そこから尾張徳川家として約260年に渡り、16人の藩主が名古屋城を治めました。天守の石垣をつくったのは、城づくりの名手と呼ばれた加藤清正。1610年に築城が始まり、1615年に本丸御殿が完成しました。その後、1945年に焼失するまでの間、天守や石垣を何度も大規模修繕。天守閣を60cm持ち上げて石垣を積み直すなどの大改修もあったと伝えられています。そんな改修を繰り返した名古屋城の歴史こそ、名古屋の町の発展の歴史ともいえるかもしれません。町の人々にとって名古屋城は誇りでもありました。次のお話の「金のシャチホコ」でそんなエピソードがあります。

資源・エネルギー源

金のシャチホコは、
徳川家康や尾張徳川家の
力を魅せるもの。
いつしかそれは
町の象徴となった。

名古屋城というより、むしろ名古屋のシンボルとも言える「金のシャチホコ」。1612年に天守が完成したとき、徳川家康や尾張徳川家の力を見せるため、天守閣に載せられました。北側がオス、南側がメスで、メスの方が金のうろこの枚数が多く、きらびやかに演出されています。徳川幕府の江戸時代が終わりを告げ、明治への時代が移り変わった頃、徳川家の栄華を示す金のシャチホコが飾られた名古屋城は取り壊しの危機を迎えます。しかし、人々の反対によって全国屈指の名城として永久保存されることとなりました。もはや人々にとって名古屋城は町の象徴であり誇りでもあったのです。1945年、空襲によって天守とともに焼失してしまいますが、その後、名古屋の人々の熱意により復元され、現在は再建された天守で2代目のシャチホコが今も町の人々を魅了しています。

資源・エネルギー源

明治時代に名古屋城は
皇族の宿泊所としての
「名古屋離宮」に。
その後、天守や本丸御殿が
国宝
に指定される。

資源・エネルギー源

明治時代に名古屋城は
皇族の宿泊所としての「名古屋離宮」に
その後、天守や本丸御殿が国宝に指定される。

江戸時代が終わり明治時代になると、名古屋城は国が管理することになります。1893年には当時の宮内省の管轄となり、名古屋離宮と呼ばれました。皇族の宿泊所として利用され、天皇や皇后を度々迎えました。その後1930年に名古屋市の管轄となり、再び名古屋城と呼ばれるように。またその年、名古屋城は前年に制定された「国宝保存法」において天守閣や本丸御殿が城郭(いわゆる城)として国宝第1号に指定され、国内において圧倒的な存在感と歴史的価値を持つ城として人々に周知されました。

資源・エネルギー源

2018年、
焼失から70数年の時を経て、
待ち望まれていた本丸御殿が
忠実に復元

1945年に空襲によって焼失してしまった本丸御殿。その後、長年に渡って復元が待ち望まれていましたが、ついに2009年に復元工事が開始。江戸時代の図面や記録、昭和戦前期に作成された実測図、古写真などが残されていたため、“他では類を見ない正確さ”と称されるほど忠実に復元は進んでいきました。そして2018年、焼失から70数年の時を経て、江戸幕府の3代将軍である徳川家光が宿泊するために建造された最も格式が高い「上洛殿(じょうらくでん)」や、将軍専用の風呂場である「湯殿書院(ゆどのしょいん)」が完成。当時の名古屋城の栄華を誰でも体感することができる特別な場所として、今日、人々を魅了しています。

江戸時代のこころは、今につながるエネルギー。 江戸時代のこころは、今につながるエネルギー。

■金シャチ横丁

■金シャチ横丁

住所:
名古屋市中区三の丸1丁目2番3~5号(正門エリア 義直ゾーン)(正門エリア 義直ゾーン)名古屋市中区二の丸1番2・3号
(東門エリア 宗春ゾーン)

名古屋城の正門と東門に誕生した、食のエンタテイメントゾーン・金シャチ横丁。名古屋ゆかりの味をテーマに、定番・老舗のなごやめしが集結する正門エリアの義直ゾーンと、新進気鋭の店舗が集結する東門エリアの宗春ゾーンで構成されています。名古屋を代表するグルメ、老舗や名店による金シャチ横丁だけのオリジナルメニューを提供するほか、テイクアウトメニューも充実。自分たちに合わせた楽しみ方ができます。

尾張徳川家の歴史を楽しむ仕掛け
【AR歴史絵巻】

ARで体験できるスペシャルコンテンツを現地にご用意!▶https://kinshachi-y.jp/ar_panel.pdf

■大須観音

  • ©(公財)名古屋観光コンベンションビューロー

■大須観音

住所:
名古屋市中区大須2丁目21-47

電話:
052-231-6525

1612年に徳川家康の命令により、岐阜県羽島市より移転。名古屋城の天守の建築と同時期であり、徳川家康が名古屋のために必要だと考えたと言われています。織田信長も寺の領地として五百石を寄進するなど、武将たちに大切にされてきた歴史があります。大須観音の周辺には大須商店街があり、飲食、ファッション、雑貨をはじめ、アニメなどのカルチャーを感じさせる店舗が軒を連ねています。

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