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引越し大名ノブナガ!?
お城の移転を繰り返して天下を
狙った理由とは?
【名古屋おもてなし武将隊インタビュー】

vol.
12

学び・子育て

年度末が近づき、転勤や進学などで引越しの機会が増えてくる季節。新居の選定、費用の見積もり、ライフラインに必要な手続きの契約、持ち物の梱包に荷ほどきなどなど…やることの多さを考えると憂うつになる方も多いのではないでしょうか。

ところが戦国時代、その面倒な作業をお城の規模で行って天下統一を狙った人物がいました。生涯複数回にわたって居城を移転し続けた織田信長その人です。

戦国大名たちにとって本拠地は重要で、居城を移すのは日常的なことではありません。移転を続けた理由に移転先の選び方、家臣のモチベーション維持に至るまで、名古屋おもてなし武将隊の織田信長さんにお話を伺い、引越しを前向きに捉えるヒントを聞くことができました。

お話を伺ったのは…

名古屋おもてなし武将隊 織田信長さん 圧倒的に不利な状況から勝利した「桶狭間の戦い」でその名を知らしめ、天下統一への先駆けを担った、戦国のリーダー。2009年に現代に蘇り、名古屋城を拠点に名古屋の魅力を発信。蘇った信長は情に厚く、意外とよく笑う。

居城を変えるのは異例?
戦国時代の引越し事情

応仁の乱をきっかけに、約100年にわたり続いた激動の戦国時代。多くの大名たちにとってお城を移すことは一般的ではありませんでした。引越しに自動車が使えるわけもなく、現代と比べものにならない労力が必要であったことを想像すると、それもうなずけます。

山梨県甲府市の「躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)」を拠点にした武田信玄や、新潟県上越市の「春日山城」を拠点にした上杉謙信など、どれだけ勢力が拡大しても、自分たちの本拠地は移転しないことがほとんどでした。

ところが、愛知県稲沢市から愛西市にまたがる地域にあった勝幡城(しょばたじょう)で生まれた織田信長は、父・織田信秀に連れられ那古野城(なごやじょう)へと移り住むと、そこから4回も拠点を変えています。

信長が生涯にわたって
住んだ城をおさらい

現代に置き換えても多い回数の引越しを、戦国時代に計画的に行った信長。どのように移り住んでいったのか、それぞれの城について簡単に振り返ってみましょう。

青春時代を過ごした「那古野城」

最初の本拠地となったのは、現在の名古屋城の二之丸付近に位置する「那古野城」。元々は信長の父・信秀が今川氏から奪取した城で、後に城主となりました。幼少期から青春時代までを過ごした場所になります。

奇抜な服装や、父の葬儀の焼香の際に抹香を位牌に投げ付けるなどの行動で、「尾張の大うつけ者」と呼ばれていたのが、この時期にあたります。

天下取りの出発点となった「清須城」

父の後を継ぎ、次の拠点としたのが「清須城」(※)です。清須は尾張のほぼ中央に位置し、鎌倉街道と伊勢街道が合流する交通の要衝であったことから、尾張の政治の中心地でした。

元の城主であった織田信友を討ち、1555年に入城。桶狭間の戦いではここから出陣し、今川軍に勝利して天下取りの一歩を踏み出しました。信長の亡き後も織田家の体制を話し合った「清須会議」が行われるなど、織田家にゆかりあるお城です。

※現在の施設固有の名称としては「清洲城」の表記です。

美濃攻略に向けて初めて築いた
「小牧山城」

桶狭間の戦いを終え、美濃攻略を目指した信長は、美濃方面を一望できる小牧山に初めて自身で城を築き「小牧山城」を拠点とします。巨大な石を積み上げた本格的な石垣造りを行い、のちの“城”のイメージの基盤となりました。

美濃攻めは早々に完了し、小牧山にいたのは約4年と短いですが、大規模な築城、家臣団を住まわせる城下町の形成など、旧来のしがらみに縛られない新たな土地で、自身の政治体制を強化しようとしたことがうかがえます。

交通の要衝「岐阜城」で
天下統一を目指す

1567年、斎藤龍興の居城だった「稲葉山城」を攻め落とし、美濃攻略を果たします。拠点を移すと、お城の名前を「岐阜城」と改めました。

東海道や東山道など交通の要衝を抑えた信長は、代名詞である「天下布武」を掲げ、天下統一を目指すと宣言。豪華な御殿を造り、客人に長良川の鵜飼いを見せるなど、軍事的な意味合いが強かった城から“見せる城”に変えていったのも特徴です。

天下統一に王手をかけた
最後の本拠地「安土城」

名実ともに絶大な強さを手にすると、現在の滋賀県に「安土城」を築いて次の本拠地にしました。岐阜よりも政治の中心地である京に近く、北陸・東海の要であることから天下統一の拠点として適した土地だったのでしょう。

お城はかつてないほど豪華絢爛なものだったことがわかっており、当時日本に訪れた宣教師のルイス・フロイスの著作『日本史』でも、いかに気品があり壮大な建築であったかが記されています。

信長流!引越し術から前向きな
ヒントを学ぶ

天下を目指してどのように移転を繰り返してきたか見えてきたところで、今回は実際に名古屋おもてなし武将隊の信長さんに、当時のお話はもちろん、現代において引越しを前向きに進めるヒントを伺っていきましょう。

引越し先選びで光る信長の審美眼

引越しで最も重要と言えるのが場所選びでしょう。当時、敵陣を倒すべく引越しを繰り返していた信長さん。拠点を移すたびに強大な力をつけていく中で、目的達成に最適な場所かどうかを判断する審美眼が光っていたことがわかります。

「共通することは交通の便の良さじゃな。わしらの時代は、交通の便が良いとそれだけ多くの民が集まってきた。安土城であれば、今で言う高速道路の出入口に住むようなもの(笑)。馬より徒歩より、琵琶湖の船が速かったでな。陸路に加え水路も抑えたことは、我が軍や城下町が発展した理由の一つじゃろう」と語ります。

また、交通政策として、関所の撤廃、道路の幅を広くする、街路樹を植えて整備するなど、人の往来を活発にすることで商業都市として発展を促したという信長さん。天下統一に欠かせない経済力を高めるため、合理的かつ先進的な策を進めていたのです。

信長が教える
引越しのヒント

より良い暮らしをかなえるために、どう生きたいかを見極めるのじゃ!

「自分がどう生きたいか考えて場所を選ぶのがええじゃろう。尾張で一番力を持つ者が清須城に住んだように、成功者としてタワーマンションに住むなどの願望をかなえるとか。仕事が生きがいで、飯を食って寝る時間も惜しいなら職場の横に住んでしまうとか」と信長さん。
引越しを、今より良い暮らしを実現させるチャンスと捉え、自分の願望や生き方をしっかり見極めることが大切と言えそうです。

引越し作業は面倒…そんな家臣の
モチベーションを上げる戦略

どの時代でも引越し作業は面倒なもの。引越しを決めた本人はもちろん、家族や同居人、部下が関わるのであればモチベーションを上げてもらうのは難しくなります。そんな中で、信長さんはこんな逸話を残しています。

「清須城から拠点を移そうとした時、実は最初の行き先は小牧山ではなかった。二ノ宮山(現在の愛知県犬山市)に行くことを命じると、便利で快適な清須から、不便な山中への暮らしに家臣や領民は大反対したんじゃ。その不満が絶頂に達した頃、二ノ宮山はやめて小牧山にするぞと伝えると、皆は二ノ宮山よりはマシだと喜んで動いてくれたのう」。

小牧山は交通の便も悪くなかったので、最初に悪条件を提示したことで引越しへの抵抗感を減らす、戦略的とも取れるエピソードです。

信長が教える
引越しのヒント

新生活の楽しみ、やりたいことを、家族とよく話し合ってみよ!

「わしが当時行ったことをそのまま現代に生かすのはまずいのう(笑)。しかし前もって家族や共に引越す者と話す時間をとることは大事じゃ。こんなおいしい食べ物やテーマパークがあるらしいとか、引越し先での楽しみややりたいことを、共に話し合っておくのが良いのではないか」と提案してくれました。

家族のやる気を削がないため、引越し先の魅力や展望を話し合ってみたり、引越し作業後のごほうびを用意したり。周囲の意見もしっかり聞きながら作業を遂行することが、スムーズな引越しには欠かせません。

楽市楽座を設けて経済を発展。
親しみやすさで民衆の心をつかむ

引越しで気になるのが新しい人間関係です。そこで参考にしたいのが、信長さんが新天地で行った政策や、民衆に見せた友好的な姿勢。特に有名な安土城での楽市楽座令では、組合を廃止し、自由な経済活動を推奨して商人たちを味方につけることができました。さらに、こんなお話も。

「岐阜城では、漁の一つであった鵜飼いをする者に“鵜匠(うしょう)”の名を授け、客人へのもてなしの一つとして大事にしたんじゃ。またわしは相撲が大好きで、安土城時代には力自慢を集めて大会を催し、優勝した者には褒美を惜しまなかった」。腕力を競う「竹相撲」で引き分けになった際には、両者に“東”と“西”の名字まで与えたと言います。

また当時としては珍しく、安土城をテーマパークのように一般公開し、信長さん自ら民衆から手渡しでお祝い金を受け取ったそうです!親しみやすい姿に心をつかまれた民衆も少なくなかったことでしょう。

信長が教える
引越しのヒント

ご近所づきあいを大事にし、新しい人間関係を良好にするのじゃ! 

引越し先でたびたび新しい人間関係を築いてきた信長さん。「けんかをしないことが何よりも大事じゃ(笑)! 新しい場所に移ったら、自分の評判を良くして、良い関係性を作っていくのがええぞ」と話します。

良好な人間関係を築く上では、最初が肝心です。引越し先のご近所さんや、新天地でお世話になる人へあいさつを積極的にするなど、親しみやすさを意識して第一印象をアップさせたいですね。

引越しは不安になってしまうこともありますが、出世や進級がきっかけであることも多く、自分自身が成長するチャンスとも言えます。信長さんのように新しいことを始めるのはもちろん、新生活を迎えるにあたって光熱費や通信費といった固定費の見直しをするにも良いタイミングでしょう。

まとめ

今回は、名古屋おもてなし武将隊の織田信長さんに、引越しを前向きに捉えるヒントをいただきました。信長さんが転居を繰り返した歴史を紐解いていくと、目的を遂げるために必要な土地を見極める力と、その行動力こそが、天下人になれた理由の一つであることが伝わってきました。

引越しは大変な作業ですが、環境を変えたり新しいことを始めたりする良い機会。自分はどんな住まいがいいのか、どんな風に生きていきたいのかをしっかりと見つめ直すきっかけと言えるかもしれません。引越しの準備や固定費の見直しなど、春からの新しいスタートに向けてポジティブに取り組んでみませんか?

※歴史的記述に関しては、諸説ある場合もあります。

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